気象条件が生育に大きな影響を及ぼすと言われるお茶の栽培において、その最北に位置する村上市。江戸時代初期より、長い年月をかけて根気よく栽培の努力を続け「北限の茶処」「村上茶」のブランドを確立しました。寒い冬の期間が長く日照時間も短い厳しい気候条件が、この地独特の甘くまろやかな味わいを生み出しています。
また村上茶は、お茶の栽培から製造、販売までのすべての工程を各販売店が1軒1軒それぞれに行っていることも特徴です。そのため、小さいながらもそのおいしさや技術は、全国的にも高度なレベルを保持しています。
村上茶の栽培が始まって昨年400年を迎えました。
その歴史には、江戸時代初期(1620年代)、時の城主・堀直竒(ほり なおより)が江戸駒込の藩邸で栽培されていた種子を村上に移植した、という説と、同年に村上藩の大年寄・徳光屋覚左衛門(とくみつや かくざえもん)が宇治から種子を買い求めて植えさせた、という説の2説があります。
その後、先達の努力により栽培・製茶とも改良が続けられ、茶畑の面積は明治時代には400haにもなり、製造された緑茶や紅茶はニューヨークやウラジオストクにも輸出されました。
村上茶は「北限の茶」と呼ばれますが、これは、商業的な茶産地の北限(日本海側)という意味です。海岸側にあって比較的積雪量が少なく、しかも適度な積雪が茶の木を寒風から保護してくれること、冬期の最低気温も-10度以下になることが少ない、などの条件が恵まれていたこと、そして、何よりも村上の人々が長い年月をかけ、根気よく栽培技術を磨いてきたことが産地死守につながったのです。
栽培地としては決して好条件ではない村上ですが、先達の功績を受け継ぎ、新品種の作付けや在来種の品質向上など日々の努力を積み重ね、茶業者一丸となって更なる発展を目指しています。
緑茶も紅茶もウーロン茶も、元は同じツバキ科ツバキ属の常緑樹・チャノキ(茶の木)の葉です。茶葉を蒸し、揉んで乾燥させる緑茶は不発酵茶。対して、ウーロン茶や紅茶は、茶葉を発酵させて作ります。
村上茶の歴史の中で、村上茶の紅茶も誕生しました。明治時代、お茶の主な輸出先だったアメリカで紅茶が好まれるようになりました。それを受け、明治11(1878)年には村上でも紅茶が作られるようになったのです。しかし、敗戦を経てお茶業界が次第に衰退。村上茶の紅茶も姿を消します。それから数十年の時が流れて今、村上茶の若い担い手が古い文献等をひも解き、村上茶の紅茶を復活させました。今では数軒のお店で、それぞれの村上茶の紅茶が作られています。
① 茶葉を急須に入れる
② 適温のお湯を用意する
※お湯は、必ず沸騰させたものを使用
※ポットから湯飲みにお湯を移し、適温まで冷ましてから急須に注ぐ茶葉が開き、
味が出てくるまでしばらく待つ
③ 茶葉が開き、味が出てくるまでしばらく待つ
④ お茶の濃さが各お茶わんで均一になるように少しずつ均等に注ぎ分ける。
※急須にお茶が残らないよう、最後の一滴まで注ぎ切りる。
※一人分の場合も一気に注がず、色を見ながら5回くらいに分けていれる
★お茶の味は、茶葉の量・お湯の量・お湯の温度・浸出時間で決まります
★いれ終わったら、急須のふたを取って注ぎ口の反対側を叩き、茶葉を動かして蒸れないようにしましょう